松山が生んだ明治時代の俳人・正岡子規が暮らした家『子規堂』を訪れてみました

僕は34歳になるフリーターです。

入院する30代

昨年、初期の大腸癌が見つかり…手術のために入院していました。

入院中、気分が紛れるように…、と友人たちが様々な本や雑誌を差し入れてくれたのですが、その時に読んだ…

注:イメージ画像(出典 Instagram)

正岡子規の俳句集に感銘を受けました。

これまで僕は、俳句に一切興味がなかったのですが、毎日繰り返し、俳句を読み続けるうちに、松山の俳人・正岡子規の世界へ引き込まれていったのです。

鶏頭

”鶏頭の 十四五本も ありぬべし”

これは1900年、正岡子規33歳頃の作品です。

この頃、子規の病状は非常に悪化した状態になっていました。そのため子規は療養に専念せざるを得なくなり、歌会なども中止するようになっていたそうです。

※僕が癌を患って入院をしたのも、この頃の子規と同じ、33歳でした。

筆と紙

もうこのまま、死ぬのではないか?という苦しい最中でも、俳句を紡ぎ出すという子規のその姿に、僕は感銘を受けました。

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”鶏頭の 十四五本も ありぬべし”

ちなみにこの俳句の意味は、「庭前の鶏頭が、だいたい14、15本ほどあるだろうか?」というものです。

咲き誇る鶏頭

鶏頭は、夏から秋にかけて赤や桃色の花穂をつくる植物。

※形状が鶏のトサカに似ているため、鶏頭と言われています。

鶏頭が自生する様子を見た子規は、「見た目ざっと14~5本もあろうかな、とても見事な鶏頭の群生だ。力強く、無骨でたくましく、まるで炎のようだな。」

…と目に映る景色を表現しています。

自生する鶏頭

脚色や装飾をせずに俳句を詠むという正岡子規らしい端的な俳句です。

僕は癌を患ってから“生きる気力”を失っていました。

※どうせこのまま死ぬんだろうな…。とネガティブな気持ちばかり抱えていましたんです。

病室で正岡子規の句を読む

でも、この句を読んでから、生きがいを見つけて前向きに生きていこうという気持ちになれました。

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今の自分があるのは正岡子規のおかげ…。

愛媛県松山市には正岡子規が暮らした家を復元した『子規堂』があると知り、僕は子規ゆかりの地を巡ってみることに。

子規堂(松山)

『子規堂』は、正岡子規が17歳まで暮らした家を復元した記念堂です。

正岡家の菩提寺である正宗寺境内に建っており、正宗寺は松山市駅のすぐ裏側にあります。

※屋上に観覧車「くるりん」を乗せた駅上デパート「いよてつ高島屋」から歩いて約3分ほどの場所。デパート裏側の信号と踏切を渡ると到着します。

子規堂(松山)

子規堂は松山市内でも著名な観光施設として知られていますが、僕は初めてこの地を訪れました。

子規堂の入館料はなんと…50円。

注:イメージ画像(出典 Instagram)

子規堂の入口では「旅だち」と銘打たれた 正岡子規の銅像が迎えてくれますよ。

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外観からは古き良き日本家屋の佇まいを感じ取れます。

子規堂(外観)

また隣接する墓地の近くには正岡子規の埋髪塔なども建っており子規を偲ぶ場所となっています。

注:イメージ画像(出典 Instagram)

古い純日本家屋の内部は建具が取り外され、正岡子規にまつわる資料や品物が展示されています。

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「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」
「いくたびも雪の深さを尋ねけり」

などの俳句で、日本の近代文学に大きな影響を及ぼした正岡子規。

注:イメージ画像(出典 Instagram)

その半生は病との戦いでもあり、若くして亡くなるまでに残した偉大な業績と、その人物像をじっくりと鑑みる事ができます。

※建物は広い庭に囲まれており、一面の窓が開け放たれていて開放的。松山の市街地にあるにも関わらず、初夏の時期にも涼しい風が吹き抜けてとても快適なんです。

子規の魅力と同時に、日本家屋の素晴らしさを感じ取れました。

注:イメージ画像(出典 Instagram)

子規堂には正岡子規が勉学に励んだとされる机も展示されています。

※子規はこの家で17歳までの多感な少年期を過ごしています。

穏やかな庭の風景や、心地よい風を感じながら、文学の勉強に没頭し、日本の文学史に多大な功績を残す事になったと思うと、感慨深いものがありましたね。

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また、子規は野球好きだったことでも知られ…

グローブとボール

ベースボールを”野球”と訳した人物であると言われています。

日本に多大な影響を与えた人物だということをこの子規堂で改めて知ることができます。

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そして、子規堂の前には…

注:イメージ画像(出典 Instagram)

日本最古の軽便鉄道である伊予鉄道のかつての客車が展示されています。

参考:鉄道好きにはたまらない、松山「伊予鉄道」の魅力

中はまるでマッチ箱のような貨車になっていて、木のベンチが向き合って設置され、当時の面影を感じる事が出来ます。

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ちなみに、”坊ちゃん列車”と名付けられた理由は…

注:イメージ画像(出典 Instagram)

明治の文豪・夏目漱石の小説「坊ちゃん」からで、主人公がこの列車にゆられて松山に赴任するからなんですね。

※実際に夏目漱石は実際に英語教師として松山に赴任しており、正岡子規と一時期この松山で同居していたそうです。

松山市街を走る坊ちゃん列車

小説の中で夏目漱石は、松山の事を“田舎”だとか“不浄の地”などと散々に書いていますが、松山の至るところで「坊ちゃん」の名前を見ることができます。

※夏目漱石もまた、正岡子規と並んで松山には馴染み深い、明治時代の文豪なんですね。

松山市内にある子規堂

“子規堂”を訪れることで、子規の魅力を存分に感じ取ることができました。

※この日をきっかけに、僕はより一層、俳句に興味を持つことになりました。

今まで無趣味でしたが、これからは俳句を趣味として、前向きに生きていきたいと思います。

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